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「基礎教育と専門教育の境目は当然」
教育学部に在籍していたボクの大学の同級生たちは、希望通り小学校、中学
校、高等学校の教員になっていった。彼らは“教育とはなんたるか?”をキチ
ンと学び、学生時代あまりふざけて遊ぶこともなく(ボクから見れば、かなり
まじめな人種に見えた)、まじめに勉学に励み、教員試験に合格し、卒業して
、教育界に入って行って、もちろん、現在も活躍している。
ボクは、大学4年の時、これといった人生の目標もなく、就職したいという
気持ちにならなかったので、3カ月間一生懸命に勉強(したつもり)して、大
学院という道を選んだ。これは別に研究を極めたいなどというおおそれた野望
があったからではない。どちらかと言えば、不謹慎な理由だった。
しかし、やっぱり大学院まで言けば、学会で発表したりもしないといけない
ので、それなりにまじめに勉強した(つもり)。大学院で知ったのは、教員の
資格を持っていなくても、教授や講師になれる、ということだった。専門の研
究活動を極めていけば、人にその学問を指導することができるのだ。
ここで不思議に思うのは、小中高校の教員になった連中が大学で身につけた
“教育とはなんたるか?”は何なのだろうか?ということだ。
時折、小中高校の教育は“基礎教育”で大学の教育は“専門教育”だという
話を聞く。この同じ“教育”というキーワードを持つ、ふたつの次元の間には
何か共通した理念のようなものが必要なのではないのか?。それが“教育とは
なんたるか?”というものではないのだろうか?と素人ながらに思うのである
。
基礎教育を行う教員たちの教える教育は、もちろん、専門教育のレベルには
ないし、ましてや実体験を体感できる教育として実践できる技能も教育されて
いない。逆に専門教育分野を極めた人たちは、その世界では著名でも、後進の
指導にたけているわけではない。
こう見ると、両者が同じ“教育”という現場に従事しながら、同じ概念を学
んできてきていないことがわかる。だから、基礎教育と専門教育の境目は当然
の結果なのだ。共通した“教育とはなんたるか?”という教育に対する共有概
念を持っていないのだ。
このすき間をうまくブレンドしてシームレスに教育をつないでくれる分野が
これから必要になってくると思う。学校で学んだことは、社会で役に立たない
、というのはどこでも耳にする話だ。社会経験のない教員が社会に出ていく子
どもたちを育てる。これはどう考えても不自然だ。このへんはいい加減に、教
育として変わってもいいところではないのだろうか?。実験的でもなんでもい
いから、前進する努力が欲しい。
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