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「先を読む、ゴミを捨てる」
昨今の行政を見ていてもわかると思うが、どうも、日本人は“先を読む”と
いうことに慣れていないようだ。まぁ、企業に所属し、企業戦略として、中期
計画、長期計画を立てる、というのはビジネスマンであれば、誰でもやってい
るはずだ。がしかし、日常生活として、生きることとして必要な体質として、
「先を読む」というこの観点(体質)が日本人には不足しているように感じる
。
ゴミはだいぶ分別収集の意識が広まってきたが、これまではいっしょくたに
捨ててしまった後に、「どうやって分別しようか?。」と悩んでいた時期もあ
った。埋め立てるだけ、という強引な時代もあったし、それは一部分今でも日
本に残っている。分別収集は、ほんのちょっとの心がけで、このような苦悩は
せずに済む。先を読むことをしなかったために、これまでゴミの処分にずいぶ
ん悩んできたわけだ。ほんのささいなきっかけを掴むまで。飲み物のビンだっ
て、各社が統一して、洗浄してリユースすれば、洗浄のエネルギー以外は必要
なく、ゴミも発生しない。ビンを作る工程を考えればいいだけだ。しかし、な
ぜか人間はそれがなかなかできない。
「5年後、あれしたい。」
「10年後、こうなっていたい。」
そのために、今しておかなければならないことは何か?こういうことを子ど
もの頃から体質として教育しておくべきではないか?常に先のことを考え(そ
のことは現時点で実現できるものでなくてもよい)、自分の行動を起こす、こ
うすることによって、創造的な体質も自然と身につくのではないか、と思われ
る。それはもしかしたら、人間が生まれた瞬間は、素質として元来持っている
ものかもしれない。
それをキープし、さらに伸ばしていく教育はできないものだろうか?。
詰め将棋や碁石を使った五目並べ、オセロゲームなんていう、相手の動きさ
えも先読みして戦略をたてていくゲームも最近はほとんど見かけることがなく
なった。これらは先を読む体質を育てる有効なツールだと思う。経験を積めば
積むほど上達していく。その場限りの直観的なゲームも楽しいかもしれないが
、それはあまり知的ではない。
環境を考えるにしても、自分の生活を考えるにしても、結局は、自分がおこ
す行動のひとつひとつの結果がそこにあるだけだ。その結果を少しでもいいも
のにするために、少しでも楽しいものにするために、先を読む努力を惜しみた
くないし、自然とやっていたいことだ。自分の人生の先を読むことは、ゴミ問
題を考えることと似ているなぁ、と思う今日この頃なのである。
(1999.12.21 Written by Nobuhiro Akashi)
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