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「アウトドアウェア開発の必要性:グルーミングの科学?」
真剣にアウトドア遊びを趣味とする人は、アウトドアウェアに拘
ったり、グルーミングに拘ったりする。可能な限り快適なウェアを
身に付けようとするし、邪魔だとわかっていても、重くて行動の妨
げになるとわかっていても、髭剃り、シャンプー、石鹸、歯ブラシ
などの小物は必ずと言っていいほど、苦労をしてフィールドに持っ
ていく。このことをずっと、なぜかなぁ?と思っていた。
たまにとても無精な人間に出会うこともあるが、それは稀なケー
スであり、通常、日常の生活の中でも、入浴したり、グルーミング
することは、人間の生活の中でかなり重要なポジションに位置して
いるようだ。
レベルの差こそあれ、どんなスタイルの遊びをする人でも、どん
なスタイルの旅をする人でも、はたまた外で遊ばない人でも、人間
という生き物は、グルーミングだけはかかさない。一週間、一カ月
も風呂に入らなかった、身体も拭かなかった、という人も話はほと
んど耳にすることはない。
そこに面白いことを思いついた。
一般的に哺乳類と呼ばれる動物たち(人間も哺乳類だ)は、毛皮
を身にまとっている。自然界の様々な現象や物質から身を守るため
に、肌から強力な毛が生えている。野鳥にしても、羽毛を身にまと
うことで、身体を汚れや寒さから守っている。だから、動物や野鳥
たちは、毛繕いや水浴びという行為によって、毛や羽毛といった彼
らのウェアを手入れしている。
人間は身を守れるほどの毛皮がない(に等しい)ので、機能的な
ウェアが必要なのだと思う。体温を調節し、肌を自然界から守る機
能として。しかし、毛繕いなどという高等技術がないから、自分の
身体から出る油脂や汚れとしての油分を除去したり、溌水機能材と
して有効活用する術を持たない。そういうものが身についていると
、不快だと感じることの方が多い。この感情は、人間の進化の過程
で、毛繕いという行為を止めた時に、同時に発生した感情なのだろ
うか?。この感情が起こるから、グルーミングはかかせない。風呂
に入らずに、生活していると、頭はかゆくなるし、身体はなんだか
ベトーっと気色悪い。下着も自分の身体から出た油分でなんだか重
たく肌触りも悪くなってしまう。
また、ウェアの機能は完全じゃないから、都心では建物が、本来
身に付けていたはずの毛皮の機能を補完してくれている。それは冷
房、暖房、湿度調整・・・。
ボクの好きなアウトドア遊びは、都心の機能が身近にないから、
ウェアの果たす役割はどうしても多くなってしまう。アウトドアフ
ィールドで遊べば遊ぶほど、どうしても発汗量は増加するし、汚れ
もひどくなる。だから、アウトドアで快適に過ごすには、“身体を
ある一定のコンディションに保っておきたい”という人間の本能と
して機能的なアウトドアウェアが必要になってくるのだ。
通常、ボクらはクリーニング程度の手入れをし、消耗すると廃棄
する。建物も老朽化すれば、建て替えてしまう。耐久性という意味
でも、毛や羽毛は素晴らしいし、薄汚れた動物たちというのはあま
り見かけない。この部分も人間は技術と置き換えてしまった。
人間は、毛皮を手放すことで、ウェア(開発によるコストや環境
破壊はかなりのものだろう)やクリーニング、都市開発という浪費
をしなければならなくなってしまった。これは進化なのか、退化な
のか?。
(1999.12.29(Wed.) Written by Nobuhiro Akashi)
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